プレスリリース
世界初、未知ノイズの影響を削減可能な量子センシングアルゴリズムを考案 〜高精度な量子センシングをハードウェアの改善なしに実現〜
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)と国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」)、国立大学法人 大阪大学量子情報・量子生命研究センター(以下「大阪大学」)は、量子状態を用いた高精度なセンシング(以下、「量子センシング」)(※1)を可能とするアルゴリズムを考案しました。量子センシングにおいては、未知ノイズ(※2)が精度に大きく影響を与えるため、その影響の削減が重要です。そこで、本アルゴリズムでは、量子コンピュータ(※3)実現のため考案されている量子エラー抑制法(※4)を活用することで、未知ノイズの影響が大幅に削減可能であることを世界で初めて確認しました。これにより、ハードウェアに手を加えることなく、より高精度な量子センシングを実現できます。
1.背景・経緯
磁場、電場、温度などのさまざまな情報を高い精度で得られるセンシング技術は、情報化が加速する社会の基盤技術の一つとして、その重要性がますます高まっています。特に、医療、生体、材料工学などの分野では、磁場のセンシング情報から物質の内部情報を得る核磁気共鳴画像法(MRI)や、人や動物の脳から生じる電気活動を検知して脳の状態をセンシングする脳波計など広い応用例があり、より小さい領域を、高い精度で検知できるセンサーの開発が待ち望まれています。
近年、量子センシングは既存のセンサーの感度と空間分解能を上回ると期待されており、世界中で研究が行われています。量子センシングでは、大きく分けて、2種類の手法が研究されています。重ね合わせ状態を用いる手法と量子もつれ状態(※5)を用いる手法です。
ノイズのない理想的な状況であれば、量子もつれ状態を用いる手法は、重ね合わせ状態を用いた手法と比べて何桁も精度が向上することが知られています。ところが、量子もつれ状態を用いる手法は、外部環境との相互作用やハードウェアの不完全性などによって生じるノイズの影響を受けやすく、その影響を削減することが課題です。
2.技術の概要
これまでの量子センシングの研究では、ノイズの情報は事前に得られている(このようなノイズを既知ノイズと呼ぶ)と仮定し、統計誤差(※6)を削減するために主にハードウェアの改善が研究されてきました(図1(a))。
しかし、現実には既知ノイズだけではなく、未知ノイズも精度に大きな影響を与えています。
そこで、未知ノイズが量子もつれ状態を用いたセンシングに与える影響を、具体的な磁場センシングの数値シミュレーションで評価しました。その結果、未知ノイズの下では系統誤差(※7)が生じ、精度に著しく影響を及ぼすことが分かりました(図1(b))。
[画像1]https://user.pr-automation.jp/simg/2341/66376/700_366_20221215211801639b1079280ca.png
図 1:既知ノイズによる統計誤差、未知ノイズによる系統誤差および本提案手法の概念図。
このような未知ノイズは、従来の既知ノイズに対する研究手法では対処することが難しく、どのように未知ノイズの影響を減らすかが課題でした。そこで、量子コンピュータ分野で用いられている量子エラー抑制法の一つである仮想蒸留法(※8)を活用することで、ハードウェアの改善なしに未知ノイズの影響を大幅に減らせることを確認しました(図1(c))。
[画像2]https://user.pr-automation.jp/simg/2341/66376/700_308_20221215211801639b107926f6c.png
図 2: 磁場センシングに本提案手法を適用した数値計算の結果
本手法を磁場の量子センシングの数値シミュレーションに適用し、精度を評価することで、未知ノイズの影響が削減され、量子もつれ状態を構成する量子ビット数が多いときに精度が向上することを実証しました (図2)。
本研究では、NTTが量子センシングアルゴリズムの提案、解析およびその性能の数値計算評価を、産総研が本アルゴリズムの元となるアイデア発案、量子センシングの知識提供および計算検証を、大阪大学が量子センシングアルゴリズムの解析計算の検証を行いました。
3.今後の展開
今回の研究は、量子もつれ状態を用いた高精度な量子センシングの実現に向けた重要な一歩といえます。今後の方向性としては、本手法の実証実験、複数の量子状態を準備せずに本手法を行う改良などが考えられます。また、本手法は磁場センシング以外にも適用できる一般的な手法と期待されるため、他の種類の量子センシングにおける性能評価も考えられます。
これらの手法が発展することで量子センシングによる精度向上が得られるようになれば、基礎科学のみならず、センシングが応用される幅広い分野への貢献が期待されます。
4.本研究の支援
本研究は、以下の支援により実施されました。
-文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用(課題番号:JPMXS0120319794)」
-JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「完全秘匿性を実現する量子IoTアーキテクチャの構築(課題番号:JPMJPR1919)」
-JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「量子エラー抑制の基礎理論の構築および実用的手法の提案(課題番号:JPMJPR2114)」
-JST 共創の場形成支援プログラム(COI−NEXT)政策重点分野(量子技術分野)「量子ソフトウェア研究拠点(課題番号:JPMJPF2014)」
-NEDO委託業務「量子計算およびイジング計算システムの統合型研究開発(JPNP16007)」
-JSTムーンショット型研究開発事業「誤り耐性型量子コンピュータにおける理論・ソフトウェアの研究開発(課題番号:JPMJMS2061)」
用語解説
※1量子センシング
量子力学に従う状態を用いて磁場、電場、温度などを検知する技術の総称。
※2未知ノイズ
ここでは事前に実験により情報を得ることができないノイズのこと。ノイズは確率的な動きをするので、その正確な振る舞いは基本的に不明である。ただ、平均値や分散などの統計的な情報は事前にわかることがあり、それを既知ノイズと呼ぶ。一方で、現実の実験系では、統計的な情報すらわからない凶悪なノイズも存在する。それを未知ノイズと呼ぶ。
※3量子コンピュータ
量子力学的な原理に基づいて演算の制御を行うコンピュータのこと。従来のコンピュータは古典力学的な原理に基づくため、「古典コンピュータ」として区別される。
※4エラー抑制法
量子計算機において、ハードウェアに負担をかけずにエラーを低減することができる手法の総称。
※5量子もつれ
古典力学では説明できない相関のこと。エンタングルメントとも言い、量子力学の根幹をなす概念の一つである。量子センシングにおいては、より多数の量子ビットの量子もつれ状態を作ることができると、より高精度なセンシングを実現できることが知られている。
※6統計誤差
観測や測定が有限回数であることに起因するランダムな誤差。測定回数を増やしたり、サンプルの数を増やしたりすることで小さくできる。
※7系統誤差
特定の原因によって生じる真の値と推定値とのずれ。統計誤差とは異なり、測定回数を増やしたり、サンプルの数を増やしたりしても小さくできないため、精度に著しい影響をおよぼす。
※8仮想蒸留法
量子計算機におけるエラー抑制手法の一つ。複数の量子状態同士を互いに「ダブルチェック」させることで、ノイズの影響を減らすことができる。なお、NTTは他にも仮想蒸留法をより発展させた量子計算機のエラー削減アルゴリズムを提案している。詳細は
プレスリリース「量子計算機のハードウェアとアルゴリズムのエラーを抑制できる手法を開発
―演算を高精度化する一般的な枠組みを提唱―」(2022年7月6日)
https://group.ntt/jp/newsrelease/2022/07/06/220706a.html
を参照。
※本研究は、2022年12月16日(米国東部冬時間)に米国科学雑誌『Physical Review Letters』のオンライン版に掲載されます。
雑誌名:Physical Review Letters(オンライン版:12月16日)
論文タイトル:Error-Mitigated Quantum Metrology via Virtual Purification
著者:Kaoru Yamamoto*, Suguru Endo*, Hideaki Hakoshima*, Yuichiro Matsuzaki*, Yuuki Tokunaga*