プレスリリース
9月10日(火)平和活動家で、ウエストイーストプロダクション株式会社 代表取締役・映画監督の樽谷大助はスリランカ首都コロンボにあるジャヤワルダナ記念館を訪問し、スリランカの初代大統領であるJPジャヤワルダナ元大統領の孫であるプラディップ・ジャヤワルダナ氏と対談した。
JPジャヤワルダナ元大統領は、1951年、米サンフランシスコ講和会議の際に「人はただ愛によってのみ 憎しみを越えられる。 人は憎しみによっては 憎しみを越えられない」という発言で、日本の完全独立を後押しした人物だ。
今回樽谷大助が対談したのは、ジャワワルダナ大統領の孫で太陽エネルギー起業家のパイオニアとして知られ、元コロンボ市議会議員のプラディップ・ジャヤワルダナ氏
以下二人の対談の一部抜粋である。
樽谷大助「サンフランシスコ講和条約の際に、ジャヤワルダナ大統領の演説をしてくれなければ、4カ国に分割統治される可能性がありました。日本が独立できたのはスリランカのおかげです。なぜこのような演説をしてくれたのでしょうか」
プラディップ・ジャヤワルダナ氏「祖父は、元々はクリスチャンの家に生まれましたが、深く仏教を学び、理解し仏教徒になりました。祖父は仏教を通じ慈愛について理解し、実践していました。それが演説につながっていると考えます」
樽谷大助「ジャヤワルダナ大統領は日本を訪れていたことがあるのでしょうか」
プラディップ・ジャヤワルダナ氏「はい、祖父は、演説の前に、日本を訪れていました。祖父はサンフランシスコ講和会議の前に日本を訪れ、政治家や仏教徒とも会い、日本の素晴らしさを知りました。
同時にソ連が日本占領をチャンスと考えていることにも気がつきました。一度戦後の枠組み、ルールが決まればそれを覆すことは困難です。そこで祖父は日本のために貢献したいと考えたようです。政治家として、仏教とマルクス主義を合わせた概念を提唱したことが演説の背景にあります」
深い外交的知見を持つJPジャヤワルダナ大統領の演説によって、日本はイギリス、アメリカ、ソ連、中国の4カ国に分割統治されることを回避したのである。
話は、プラディップ氏幼少時代の思い出にも広がった。
プラディップ・ジャヤワルダナ氏は、幼少期「祖父は私たち孫とクリケットやバトミントンなどで一緒に遊んでくれました。規則正しい人で、朝6時に起き、瞑想と運動をしたのち、早朝から深夜までよく働いていました」
スリランカの発展に生涯かけて貢献したジャヤワルダナ大統領の生き方は孫のプラディップ・ジャヤワルダナ氏にも影響を与えている。プラディップ氏は太陽光発電をスリランカに広め、12万人の電気供給のない地域へ届けた貢献を持つ。
樽谷大助監督が、日本がスリランカにできる恩返しは何かと尋ねると
プラディップ・ジャヤワルダナ氏は「祖父の時代も日本政府は病院やホステルを作り、スリランカを助けてくれました。2年前の経済危機を経験した私たちの国に、多くの日本企業が事業で参加してくれること、それを日本政府もサポートすることを望んでいます」と語った。
樽谷は、対談の最後に、彼がライフワークとして取り組む広島原爆の被害を伝える”禎子の鶴”をプラディップ・ジャヤワルダナ氏に寄贈した。”禎子の鶴”は今後ジャヤワルダナ記念館の日本館に展示されるという。
スリランカを満喫したドキュメンタリー番組は10月から放送の東京MX2「えにしの記憶」シーズン11特番で放送される。
本対談は株式会社サンディ・劇団アトリエッジ・ホテルアーユルヴェーダー療養ホテル「カルナカララ」企画の元、ウエストイーストプロダクション株式会社主催、一般社団法人ユーラシア国際映画祭のコーディネイトで実現しました。
執筆:増山麗奈
(一般社団法人ユーラシア国際映画祭代表理事 モナコインターナショナル 外国特派員協会準会員)