プレスリリース
明治大学農学部の新屋良治准教授、宮崎大学医学部の菊地泰生准教授、米国カリフォルニア工科大学のPaul W. Sternberg教授らを中心とする研究チームは、マツ材線虫病の病原体であるマツノザイセンチュウとその近縁線虫(注1)種Bursaphelenchus okinawaensis(以下、B. okinawaensis)2種の性がランダムに決まる可能性が高いことを明らかにしました。生物の性は、遺伝性決定(性染色体や性決定遺伝子などを起点として性が決まる)や環境性決定(温度や個体群密度など環境依存的に性が決まる)により決まることが知られてきました。しかし、本研究チームは今回2種の線虫において、染色体の観察や詳細なゲノム解析、さらには遺伝学解析などを行うことにより、発生ノイズ(注2)が性決定に与える影響が大きいことを明らかにしました。
本研究は、主として発生ノイズにより性が決定される「ランダム性決定」が遺伝性決定や環境性決定に続く第3の性決定機構であることを示します。本研究成果は、科学雑誌『Nature Communications』に掲載されました。本研究チームは、今回得られた知見を基にして、植物寄生性線虫(注3)の性を人為的に操作し、寄生線虫病を制御することを目指しています。
■ 研究の背景
ヒトに男女の2性が存在するように、有性生殖を行う多くの生物にはメスとオスの2性が存在します。しかし、性が決まる仕組みは多様で、近縁の生物種間においてすら仕組みが異なることも珍しくありません。例えば、ヒトの場合、男はY染色体上にある性決定遺伝子SRYをきっかけとして性が決まります。このような性決定の様式を一般に遺伝性決定もしくは性染色体性決定と呼びます。また、カメやトカゲなどの爬虫類などでは、温度等の環境に依存して性が決まる場合もあり、このような性決定様式を環境性決定と呼びます。多くの生物はこれらいずれかの性決定様式を有していると考えられてきましたが、性決定様式が不明な生物も数多く存在します。
線虫においては、これまで多くの線虫種に性染色体が存在することが知られていました。
本研究チームは、本研究においてマツ材線虫病の病原体であるマツノザイセンチュウとその近縁線虫種であるB. okinawaensisの性決定機構の解明に取り組みました。マツ材線虫病は世界四大樹木病害の一つとして知られるほど深刻な病気です。日本国内では古くからマツ枯れや松くい虫病として知られてきました。その病原体であるマツノザイセンチュウにはメスとオスの2性が存在しますが、雌雄比は1:1ではなく通常メスが多く生まれます。また、B. okinawaensisには雌雄同体(注4)とオスの2性が存在し、通常99%以上が雌雄同体で、ごくまれにオスが生まれます。雌雄同体とオスの交尾により生まれる子孫も同様に99%が雌雄同体であるため、性染色体性決定ではない別の仕組みにより性が決定されることが疑われました。
■ 研究手法と成果
まず、本研究チームは両線虫種において、メス(雌雄同体)とオスの染色体構造を観察し、染色体構造に雌雄差がないことを確認しました。次に、染色体観察ではわからないゲノム上の小さな違いがあるかを確認するためにゲノム配列情報を雌雄別に取得しましたが、やはり雌雄間で違いは確認されませんでした。これらの実験により、性染色体の存在は否定されたので、その後、環境性決定やその他既知の性決定機構に合致するかを詳細に調べましたが、線虫はさまざまな環境下においても常にほぼ一定の雌雄比を示し、その仕組みは既知の性決定機構のいずれとも違うことが明らかになりました(図1)。
B. okinawaensisは雌雄同体単独で遺伝的にほぼ同一な子孫を残せるにもかかわらず、均一培養条件下においても、低い一定の確率でオスが生まれます。そして、このオスとメスのゲノム情報には違いがありません。これら数多くの状況証拠をそろえることにより、今回調べた線虫種のうち少なくともB. okinawaensisは発生ノイズを主因としてランダムに性が決まると結論付けました(図2)。
本研究では、B. okinawaenesisにおける遺伝学解析により、初めて植物寄生性線虫を含むグループにおける性決定遺伝子の同定に成功しました。モデル生物である線虫Caenorhabditis elegansの性決定カスケードと比較すると、B. okinawaensisではtra-1を含む一部の下流遺伝子のみが保存されており、改めて線虫内における性決定機構の多様化が明らかになりました(図3)。
■ 今後の展開
発生ノイズが生物の多様性(個性)を生み出す要因の一つであることは以前から知られてきました。性決定に関しても、理論生物学的な見地から発生ノイズの関与を主張する研究者もいましたが、その証明の難しさからこれまで大きく注目されることはありませんでした。本研究でランダム性決定が明らかになったB. okinawaensisは、近年新たなモデル線虫種として確立されつつあります。今後は本線虫種を用いて性決定の引き金となるノイズが生じる原因の解明が期待されます。また、今回確認されたような遺伝情報の変化を伴わない表現型のばらつきは、急激な環境変動に対して迅速に対応できる利点があることが示唆されています。
B. okinawaensisの生態を深く理解することで、ランダム性決定の生態的意義を明らかにすることが期待されます。
■ 社会的意義
本研究では、B. okinawaensisの遺伝学解析基盤を整備し、性決定に関与する遺伝子の同定にも成功しました。これまで、植物寄生性線虫グループにおいて性決定の分子機構は全く明らかになっていなかったため、本研究で得られた知見は今後植物寄生性線虫の性決定機構の解明に利用できます。本研究チームは、今回得られた知見を基にして、植物寄生性線虫の性を人為的に操作し、寄生線虫病を制御することを目指しています。
■ 補足説明
(注1)線虫
線形動物門に属する多細胞動物。動物や植物に寄生する寄生虫の1グループとしてよく知られています。多くの線虫は肉眼では見えないほどに小さく(1mm前後)、地球上で最も個体数や種数が多い動物群の一つであると考えられています。
(注2)発生ノイズ
同一のゲノムを持ち同じ環境で発生をした個体間でも、その表現型は個体間で異なる現象のことです。その原因は、遺伝子の発現制御、分化や細胞の運動などさまざまな過程での確率的・偶発的な振る舞いにあるとされています。
(注3)植物寄生性線虫
植物に寄生し、栄養を摂取する生活史を有する線虫グループ。これまでに4s種以上の植物寄生性線虫が報告されており、世界農業生産において毎年8兆円以上の被害を生じさせています。
(注4)雌雄同体
1個体が雌性配偶子と雄性配偶子の両方を作ることができ、両配偶子の受精により次世代の個体が生じる繁殖様式のことを指します。
■ 論文情報
■掲載雑誌
Nature Communications
■掲載雑誌
Possible stochastic sex determination in Bursaphelenchus nematodes
■著者
Shinya R, Sun S, Dayi M, Tsai I, Miyama A, Chen A, Hasegawa K, Antoshechkin I, Kikuchi T, Sternberg PW.
■論文掲載先URL
https://www.nature.com/articles/s41467-022-30173-2.pdf
■研究助成
本研究は、科学技術振興機構「さきがけ」(新屋良治、JPMJPR17Q5)、科学技術振興機構「CREST」(菊地泰生、JPMJCR18S7)、Howard Hughes Medical Institute(Paul W. Sternberg)の支援を受けて行われました。
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