プレスリリース
公益財団法人金原一郎記念医学医療振興財団(所在地:東京都文京区本郷1丁目28番24号IS弓町ビル7階、代表者:澁谷 正史)は2022年2月17日(木)、第6回生体の科学賞を福井大学学術研究院の坂野 仁氏に授与することを決定しました。
「生体の科学賞」
http://www.kanehara-zaidan.or.jp/
<受賞者>
氏名:坂野 仁(さかの ひとし)
1947年10月16日生(74歳)※2022年2月17日時点
所属:福井大学学術研究院医学系部門 及び 子どものこころの発達研究センター
役職:特命教授
履歴:学歴
1971年 京都大学理学部卒業
1972年 京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻修士課程修了
1976年 京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻博士課程修了
職歴
1976年-1977年 カリフォルニア大学サンディエゴ校
化学部博士研究員
1978年-1982年 スイス・バーゼル免疫学研究所 研究員
1982年-1994年 カリフォルニア大学バークレー校
分子細胞生物学部免疫学部門助教授、准教授、
を経て教授
1994年-2012年 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 教授
2012年-現在 東京大学 名誉教授
2013年-現在 福井大学学術研究院医学系部門 及び
子どものこころの発達研究センター 特命教授
<助成金>
500万円
<テーマ>
新生仔の臨界期に於ける神経回路形成の可塑的な環境適応とその障害
Olfactory Imprinting during the Critical Period in Mice
<授賞式>
2022年3月3日(木)16時
Zoom利用によるオンライン開催
お問い合わせ先: info@kanehara-zaidan.or.jp
<授賞理由>
Konrad Lorenzは、カモのヒナが孵化後に初めて見た動く物体を親と認識し生涯にわたり後追いすることを発見し、この現象を刷り込みと名付けました。このように、生後早期の一定の時期(臨界期)に受けた感覚入力が、その動物の生涯にわたって、神経回路やそれによってもたらされる行動の様式に影響を与える現象が、動物の脳、特に神経回路のどのような変化によって起きるのかは不明でした。
坂野博士は、マウス嗅覚系の場合、生後一週間に限って、環境から入力された嗅覚情報に対し強い誘因的価値付けが刷り込まれることに着目し、
1:この時期に与えられる嗅覚刺激に応答する嗅細胞で、特定のシグナル分子(Sema7A)の発現レベルが上昇する、
2:この嗅細胞から嗅覚情報を受ける嗅球の神経細胞において、この時期に限定してSema7Aの受容体分子(PlxnC1)が発現する、
3:その結果、Sema7A-PlxnC1を介した細胞間シグナル伝達が、生後この時期に限って活性化され、この現象が嗅覚刺激を中枢へ伝える嗅覚情報伝達経路を永続的に増強する、ことを発見されました。
さらに、この増強された嗅覚情報入力が社会的に好ましい物であるという意義づけを、嗅覚刺激と同時に上昇するオキシトシンが行う可能性を示し、これら一連のプロセスが嗅覚を介した刷り込みの仕組みであると提唱されました。
本研究は、刷り込み現象を神経回路や分子レベルで解明する突破口を開いた極めて独創的な研究です。これまでの坂野博士の研究によって、そのメカニズムの骨子が示されましたが、その研究は未だ端緒についたばかりとも言え、今後の研究の発展によって、その詳細な仕組みが明らかになると期待できます。また、この様な社会的親和性の形成の仕組みの障害は、自閉症や愛着障害などの精神発達障害の発症とも関連し、今後ますます研究の社会的意義が高まると考えられます。
よって、坂野博士の今後のさらなる研究の発展の一助となるべく、本賞を授与いたします。
<研究目的>
感覚神経回路の基本的な構築は、遺伝的プログラムに従って胎児期に行われる。しかしながらこの回路形成は出生後の限られた時期、いわゆる臨界期(critical period)に於いて、環境からの感覚入力に依存して修飾を受ける。この神経活動依存的な可塑的な回路変化は、成長後の情動や行動に大きな影響を及ぼし、その入力障害はシステムの不可逆的な発達不全をもたらす(Mori & Sakano, Annu. Rev. Physiol., 2021)。本研究ではマウス嗅覚系を用いて、この可塑性(plasticity)の実体と臨界期に成立する刷り込み記憶について、分子レベルでの解明を目指す。
感覚神経回路の形成に出生直後の環境入力が重要な意味を持つ事は広く知られている。例えば新生仔期のネコにアイマスクを付けて光入力を遮断すると、その後マスクを外しても成長後に障害が残り弱視になる。またマウスの嗅覚系では、生後すぐに片方の鼻孔閉塞(naris occlusion)を行うと閉塞した側の嗅覚機能に障害が生じ、成長後の嗅覚行動に影響が出る。一方この臨界期における神経回路の可塑的な変化は、外界入力に依存した刷り込みを引き起こす。古典的な例としては、カモのヒナが孵化後に初めて見た動く物体を親と認識し生涯にわたり後追いする、Konrad Lorenz博士の発見が有名である。
また、サケやマスの母川回帰が匂いの刷り込みによるものではないかとの報告があり、動物の帰巣本能やヒトの幼児期の言語学習及び小鳥のさえずり等にも刷り込み記憶が関与していると言われている。
こうして出生直後の刷り込みや臨界期については一般にも広く知られているが、それを支えるシグナル分子や、回路レベルでの解明は殆ど手つかずのままであった。申請者のグループでは、新生仔期の環境入力が匂い分子として特定出来る嗅覚系をモデル系に選び、刷り込みを成立させるシグナル分子として、糸球体内での後シナプス形成を促進させるセマフォリン7A(Sema7A)とその受容体プレキシンC1(PlxnC1)を同定した(Inoue et al., Nat. Commun., 2018)。このSema7A/PlxnC1 シグナルは、生後一週間の臨界期に限って嗅覚系の刷り込みに働き、それをブロックすると成長後に他個体との関わりを避ける社会行動障害を引き起こす。
一方、出生直後に特定な匂いを嗅がせると、例えそれが先天的に忌避すべき匂いであっても、成長後に刷り込み記憶によってストレス状態が緩和されその匂いに特別な関心を示す様になる。申請者らは最近、この刷り込み記憶に対する誘引的な価値付けに、新生仔の脳内で発現するオキシトシンが関与する事を見出した(Inoue et al., eLife, 2021)。
本研究提案では、マウス新生仔の臨界期における刷り込み現象の解明と環境からの感覚入力阻害によって引き起こされる社会行動異常の原因解明を目指す。本研究では更に、新生仔へのオキシトシン投与が、自閉症や愛着障害の発症抑制や成長後の社会行動の亢進に効果があるかどうかについても検討する。ここに提案する研究は、生後の臨界期に形成される刷り込み記憶の分子レベルでの解明に寄与するのみならず、ヒトの精神発達障害の予防や軽減に新しい道を拓くものとして重要である。
<生体の科学賞について>
基礎医学医療研究領域における独自性と発展性のあるテーマに対して、現在進行しているもの、計画立案中など、現時点の状況は問わず、研究に要する費用への支援を目的とした助成金です。「生体の科学賞」と賞の称号を冠していますが、過去の業績のみを対象とするものではなく、今後の研究計画も選考評価の大きなポイントとします。また、所属の異なる複数の研究者による研究内容であっても、本助成金申請者が中心的役割を果たしていれば問題ありません。なお、一定程度の期間経過後に報告書の提出を求めますが、助成金の明細、使途、使用期限に関する制限は設けていません。また、優劣をつけがたい優れた応募がある場合でも受賞は1件なので、一度の不採択に懲りず、再応募されることを期待します。
<生体の科学賞選考委員(五十音順・敬称略)>
選考委員長:岡本 仁 理化学研究所脳神経科学総合研究センター
チームリーダー
選考委員 :金原 優 (株)医学書院代表取締役会長
栗原 裕基 東京大学大学院教授
松田 道行 京都大学大学院教授
<公益財団法人金原一郎記念医学医療振興財団について>
当財団は、株式会社医学書院の創立者、故金原一郎の遺志を継ぎ、基礎医学・医療研究への資金援助と人材育成を目的として1986年12月に設立されました。具体的な活動内容は、基礎医学・医療分野の(1)研究への助成、(2)研究対象の学会・研究会および研究者の海外派遣への助成、(3)外国人留学生への助成、(4)研究成果の出版に対する助成、(5)その他財団の目的を達成する為に必要な事業、などです。
1987年4月より活動を開始、特に主要である助成事業について、対象は国内の研究者にとどまらず、留学生受入助成金もあり、今後の活動に一層の期待が寄せられています。また、これらの事業内容により2012年4月1日に公益財団法人の認定を受けました。
詳細については財団のウェブサイト http://www.kanehara-zaidan.or.jp/ を参照して下さい。
プレスリリース提供元:@Press